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唐紅 -宝物-

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ひそやかに夢魔はささやく 4


 コーンの前に立ち尽くし、どれくらい泣いていただろうか。突然腕を引かれて体勢を崩したところを、力強い腕に抱き留められ、そのまま包み込むように抱きしめられて、キョーコは泣いていたことも忘れて固まった。広い胸板は、大人の男性のものだ。そして、頭の上から優しくささやかれた自分の名前に、キョーコの胸はどきりと高鳴った。
「キョーコちゃん、泣かないで……」
 こんな風に親しげにキョーコを呼ぶということは、もしかして、この男性はコーンなのだろうか。違っていたらと思うと、顔を上げるのが怖い。
「コーン……?」
 そう思うのは自分の勝手な願望で、キョーコを抱きしめているのが妖精の少年ではなく、恐ろしい化け物だったりしたらどうしよう。この後ろに、さっき見たコーンがそのままの状態で座っていたら。考えて、キョーコは自分の頭を呪った。夢の中で不安に思ったことは、大抵現実になるということが実証されたばかりだというのに、自分の頭ときたら救いようがない。
「そうだよ」
 だが、キョーコの不安とは裏腹に、頭の上から降ってきた肯定の言葉に、キョーコは慌てて顔を上げ、燦々と輝く太陽の目映さに目を細めた。
「心配かけたね。俺はもう、空を飛べるようになったんだ。だから、もう泣かないで」
 背が高い。あれから十年も立っているのだから、当然だ。輝く金の髪の、妖精の王子。きれいに成長しただろう顔立ちが、逆光で見えなくて、キョーコは目を凝らす。
「ほんとに……?」
「うん、ほら、一緒に飛ぼう?」
 ささやきと同時に、キョーコの足はふわりと地面から離れた。思わず目の前のコーンの首に抱きつく。何の不安感もなく、コーンに抱きしめられて、そのまま上昇する自分の身体に、キョーコは興奮の声を上げた。
「すごい!コーン、ほんとに空を飛んでる!!」
「喜んでもらえた?」
「ありがとう!!うれしい!!コーン、大好き!」
 胸の中に満ちた幸福感のまま、キョーコは、泣いていたことも忘れて、笑顔で答えた。すると、少しだけ間をおいて、答えが返る。
「うん……。俺も、大好きだよ」
 そうして、さらに抱きしめられ、全身に伝わる逞しい身体の感触と暖かさに、キョーコは狼狽えた。やけにリアルな感触の夢だ。こんな風に男性に抱きしめられたことなんて、キョーコには経験がない。いや、そういえば一度だけあったか。あれは、ダークムーンの、嘉月の演技練習につきあったときのことだ。椅子から転げ落ちたキョーコ演じる美月を、先輩俳優、敦賀蓮の演じた嘉月は、こんな風に抱擁したのだったか。
 そのときのことを思い出していると、ふいに唇に柔らかい感触がして、キョーコは我に返った。間近にコーンの顔があって、やけにリアルな柔らかい感触が自分の唇に押しつけられている。
(え、もしかして、キス、されてる?)
 まさかそんなわけが、と理性は思うのに、そうとしか思えない状況に、キョーコは慌てふためく。
「コーン!?」
 顔を離した妖精の顔がようやっと見えて、キョーコは驚愕した。そこにあったのは、まぎれもなく先輩俳優の顔だった。
「つ、敦賀さん!?」
 叫べば、キョーコが抱きついているのが、あれほどに焦がれた妖精から、先輩俳優、敦賀蓮の姿、しかも最近では見慣れたカイン・ヒールの姿に変わっていることに気が付いて、キョーコは慌てた。ダークムーンの演技練習のことなんて思い出したから、コーンが蓮に変わってしまったのか。自分が悪いのだが、それでも悔しくて、キョーコは蓮を睨み付けた。
「敦賀さん、夢でまで意地悪しないでください!せっかく、コーンに会えたのに……空を飛んでたのに……」
 良い夢だったのに、と言いかけて、先ほどの柔らかな唇の感触を思い出し、キョーコは顔を赤くして口ごもった。良い夢だったろうか、本当に。いや、とんでもない展開の夢でも、大人になったコーンに会えたのは貴重だった。ここは一つ、もう一度コーンに戻ってはくれないかと未練がましく蓮のことを見つめていると、先輩俳優は、見たこともないほど真剣で、切ない光を湛えた瞳でキョーコを見下ろし、どこか苦しげな表情でささやく。カイン・ヒールではなく、敦賀蓮のままの表情で。
「俺はきみが大好きだ……」
 耳を疑うキョーコをあざ笑うかのように、今度は先輩俳優の顔が落ちてくる。キョーコの胸が痛いほどに鼓動を打った。
「つつつ敦賀さん、誰かとお間違えです!」
「間違えてない……俺はきみが好きだよ、キョーコちゃん」
 至近距離、真剣な顔で告げられた最後の言葉に、キョーコの胸はつきりと痛んだ。それはキョーコのことではない、と直感的に思う。以前、蓮は風邪をひいたとき、うわごとで、キョーコのことを誰かと間違えて、「キョーコちゃん」と呼んだ。その頃キョーコは蓮にそんな風に呼んでもらえるような間柄ではなかったし、今に至るまで、蓮にそんな風に呼ばれたことは一度もない。だから、それがキョーコの筈はなかった。うわごとで名前を呼んだくらいだから、蓮の好きな相手は「キョーコ」という名前なのかもしれない。そこまで考えて、キョーコは、それが自分のことではないという当たり前の事実に、胸を痛めている自分がいることに気がついた。
「俺はきみが好きなんだ、キョーコちゃん」
 遠くから聞こえる声に顔をあげれば、いつの間にか蓮は手の届かないくらいの距離に立っていて、誰とも知れない女性に、先ほどと同じくらい真剣で切ない表情を浮かべてささやいている。ふっと蓮がこちらを向いて、肩を竦めた。
「ああ、勿論、きみのことじゃないよ?」
 そんなことは分かっている、とキョーコは思った。分かっているのに、焼け付くように胸が痛い。
 どうしたのだろう、自分は。傷つく必要なんてない。けれど。蓮が、再び女性に向き直り、口づけるように顔を近づけていくのを見て、キョーコは固く目を瞑った。その先を、見たくない。目が熱い。どうしてか分からないけれど、涙が溢れてくる。胸が、苦しい。
「やだ……やめてください、敦賀さん……」
 こんな風に思うのは間違っている。蓮は尊敬する大先輩で、キョーコはただの後輩に過ぎないのに。それでも、目の前で、キョーコと同じ名前の女性に真剣に愛をささやく姿なんて、見たくなかった。ひりつくような胸の痛みに、キョーコがうずくまり、嗚咽をこらえていると、ふと優しい声が降ってきた。
「泣かないで……最上さん」
 振り扇げば、いつもの通り、穏やかな顔の蓮がそこに立っている。
「つるがさん……」
「ごめんね」
 申し訳なさそうに謝る蓮に、自分の気持ちを見透かされたような気分になって、キョーコの胸はさらに痛んだ。
「敦賀さんが謝るようなこと、なにもないんです。いっぱいお世話になっている、敦賀さんの幸せを願うべきなのに……不出来で不埒な後輩で、ごめんなさい……」
 言いながら、情けなさに涙が溢れてくる。
「恋なんてしない筈だったのに……ほんとにごめんなさい……」
 口から勝手に飛び出てきた言葉に、キョーコはすとんと何かが胸に落ちてくるのを感じた。そう、恋。たぶん、そういうことなのだろう。こんな風に思ってしまうのは、きっと。二度としないと決めたはずだったその答えは、あっけないほど簡単に、キョーコを納得させた。自分は、きっとこの先輩俳優に恋をしている。答えが出てしまえば、自分の愚かしさに、笑うしかなかった。誰もが恋をする、芸能界一いい男。自分だけは、そんなことにはなるまいと固く誓っていた筈だったのに。そして、最初から望みの無い恋だと分かっているのに。考えれば考えるほど、目には涙がにじむ。
「泣かないで。もういやな夢なんて見ない。夢の中でも、俺が必ずきみを守るから……」
 抱きしめられて、キョーコは苦笑する。こんな夢の中の幸せに酔ったところで、何が変わるわけでもない。それでも、抱擁とささやかれた言葉にわきあがる幸福感は、どうしようもなくキョーコの心を満たしていく。
「敦賀さんは、夢の中でも優しくて、そして残酷なんですね……」
 悪戯に人の心を惑わせるのは、罪なんです。私はもう、恋なんてしたくないのに。したくなかったのに。
 心の中で呟いて、抱きしめられる心地よさに安らぐ自分を心底嘲笑いながら、キョーコの意識は深い眠りの中に落ちていった。


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