それは、珍しくも蓮の仕事が早く上がって、最上キョーコがラブミー部の仕事で、夕食を作りに来てくれた日のことだった。
食事の最中、たまたまつけっ放しになっていたTV番組を眺め、蓮は傍らの少女に何気なく話題を振った。
「へえ、『子供につけたい名前』特集だって。最上さんはそういうのある?」
訊いてから、彼女にそんなものがある筈が無いことに気がつく。案の定、キョーコは眉間に皺を寄せ、難しい顔で首を傾げている。
「……子供……?」
「――そういえば、君は恋愛なんかしないんだったね」
苦笑して言えば、少女は少しだけ眉間から力を抜いた。
「まあ、そうですね」
「恋愛なんかしなくても、子供は持てるけど」
蓮が付け足した言葉に、彼女はいかにも感心しない、というように、再び眉間の皺を深くした。
「幸せにできないなら、子供なんて持つべきではないと思います。私がいい母親になれるとは思いませんから」
万が一何かの間違いで恋愛なんてものをすることがあっても、子供は絶対に産まないと思います、と固い声で言い切る少女に、蓮は眉を寄せた。
彼女の難しい家庭環境は知っているが、目下彼女に片想い中の男としては、何かフォローをしておきたい。
「そう?最上さんなら料理も上手いし、いい母親になれると思うよ?」
考えて、真っ先に思いついたことを口に出してみる。すると、キョーコは苦笑した。
「先生と同じことを言うんですね」
蓮はぎくりと口を噤んだ。先輩俳優の様子には気づかない様子で、キョーコは独り言のように続けた。
「料理が上手いからっていい母親とは限らないと思うんですけどね……」
「……先生って、クー・ヒズリがそんなことを?」
「はい、男の人ってそう思うものなんですね」
気を取り直して聞き返す蓮に、キョーコはそう言って肩を竦める。蓮は曖昧な笑いを浮かべて、言い訳を試みた。
「俺の母は独創的な……不思議な料理をつくる人だったからね。反射的にそう思っただけで」
「敦賀さんのお母様もですか?先生の奥様もそうらしいですよ」
「そうなんだ……」
ますます地雷に近づいた話題に、蓮は方向転換を図った。
「でも、もしもの話だけど、子供を持つことがあるとしたら、つけたい名前とかは無いの?最上さんのことだから、メルヘンな名前が出てきそうだと思ったんだけど」
まさか、とキョーコは笑った。
「名前でいじめられたりしたらかわいそうじゃないですか。……でも、そうですね」
ちょっとだけ考えて、キョーコははにかんで笑う。
「つけたい名前なら、一つだけあります」
「へえ、何ていう名前?」
子供を持つことなんてありえませんけど、と前置きをしてキョーコは続けた。
「『久遠』です」
蓮は言葉を失った。
「……それは……」
「先生の亡くなった息子さんの名前なんです!」
嬉しそうに、キョーコは説明を始める。
さらに、蓮は衝撃を受ける。
亡くなった息子――父は、自分のことをキョーコにそんな風に説明したのか。確かに今の状況はさほど間違いではないが、あまり嬉しくない。
子供につけたいと思うほど、自分の名前を気に入ってくれたのは嬉しいが――いや、やっぱり嬉しくない。
「あ、あの、敦賀さん……?やっぱり、私ごときが先生の息子さんの名前を子供につけるだなんて、おこがましいでしょうか?」
眉間に皺を寄せて黙り込んだ蓮に、キョーコがおずおずと訊いてくる。
蓮はため息をつく。
「そんなことはないと思うけど……父親と息子が同じ名前って言うのも」
自分が父親ではないのだとしても――自分ではない男と彼女が子供を作って、その息子に自分と同じ名前がつく?
寒気のする想像に蓮は震え上がった。
(冗談じゃない)
「え?同じ名前?」
思わず口から零れた本音に、キョーコが不思議そうに首を傾げている。
蓮は我に返った。
しまったと思ったが、下手に取り繕うよりは、もう押し切ってしまった方がいい。そう判断して、微笑みを浮かべる。
「そうだね、紛らわしいと思うから、他の名前にした方がいいと思うよ」
「は、はあ……?」
そもそもありえない前提の話なんですけど、と若干引き攣った顔で反駁する彼女に、さらに笑顔で念を押す。
「うん、だから、違う名前を考えておいて?」
「は、はいいい!」
蓮の有無を言わさない口調に何かを感じ取ったのか、少女は恐怖を浮かべた顔で、こくこくと頷いた。
……食事の後、だるまやまで車で送ってくれた先輩俳優をお辞儀で見送り、キョーコは独り呟く。
「敦賀さんがそんなに熱烈な先生のファンだったなんて……」
途中で同じ名前がどうのと、意味不明なことを口走っていたが、キョーコがあんまり不敬なことを言うので動揺したのだろう。
――これは、是非とも先生に報告しなくっちゃ。
蓮にとっては実に傍迷惑なことを考えながら、少女はうきうきと自分の部屋に帰還したのだった。