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唐紅 -宝物-

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ひそやかに夢魔はささやく 1


「……っ」
 夢うつつの中、耳が拾った微かな声に、蓮は意識を浮上させ、ゆっくりと瞳を開けた。ホテルの部屋の中には、夜明けの青白い光が満ちている。腕に閉じこめた、想い人である少女――最上キョーコの感触に理性を試されながらも、自分はいつのまにか微睡んでいたらしい。至近距離にある少女のあどけない寝顔に、蓮は頬を緩めた。
 こんな風に、キョーコの寝顔を眺めることは、本来ならば自分には許されないことだ。二人は恋人同士でも何でもない。蓮はキョーコに恋心を抱いているけれども、それは蓮の一方的な片想いに過ぎず、そしてまた、想いを実らせて恋人になりたいわけでもなかった。――少なくとも、理性の上では。
 それがどうして、狭いシングルベッドで、蓮が彼女を抱きしめるようにして寝ているのかと言えば、キョーコが、昨夜蓮の首に巻き付いて引き倒し、そのまま寝入ってしまったからだった。いくら兄妹を演じて、同じホテルの一室で過ごしているからといって、正気ならまずそんなことをする筈のない彼女だが、昨夜は、ドラマの打ち上げで誤って酒を飲んでしまい、大トラと化している。
 たやすく引き剥がせる彼女を、そのとき敢えてそのままにしたのは、酔っ払って蓮に絡んで、散々ダメージを与えてくれた少女に対する、少々の意趣返しのつもりだった。蓮の首には、少女の細い腕が今も巻きつき、少女は蓮の腕枕に、大人しく頭を載せている。端から見れば、完全な恋人同士だ。少女が起きれば、この状況にさぞや動転するに違いない。
 しかし、微睡みから覚めて改めてキョーコを眺めれば、その目的が、もはや、『紳士の敦賀蓮』を納得させるための言い訳と成り果てていることを、蓮は悟らずにはいられなかった。少女の柔らかい吐息が肌をくすぐる度、暖かな気持ちがわきあがり、蓮の胸の中に静かに広がってゆく。それがあまりにも心地よくて、少女から離れたくないというのが、今の正直な気持ちだった。
 キョーコの寝顔を十分に堪能した蓮は、朝までもう少しだけ眠ろうと瞳を閉じかけて、再び耳が拾った声に瞼を上げた。見れば、少女はつい先ほどまでの安らかな表情とはうってかわり、辛そうに顔を歪めている。蓮が眉をひそめて、そのまま見守っていると、少女の瞼がぴくりと動き、その眦から、見る見るうちに涙がこぼれ落ちて、枕を濡らした。
 キョーコが夢にうなされていることを確信して、蓮は、内心で自問した。さて、この状況で起こすのと、夢にうなされるままにしておくのと、果たして彼女はどちらが幸せだろうか。彼女に昨夜の記憶がどれほど残っているかは非常に疑わしいが、少しでも残っていれば、たとえ蓮と同じベッドで寝ていることを抜きにしても、動揺して再びは眠れないだろう。それは彼女の体調的によろしくない。
「コーンっ……」
 どうにかこのまままた寝入ってはくれないだろうかと思案にくれているとき、キョーコの唇から漏れた言葉に、蓮は目を見開いた。聞き間違いかと思ってじっと見つめていると、キョーコの唇がまたも言葉をかたどった。
「コーンは……、今も苦しいの……?」
 とても悲しそうに、泣きながら少女は言う。蓮の胸が大きく鼓動を打った。


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